狩人たちの集い場




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[453] 舞台裏

投稿者: 投稿日:2018年12月23日(日)09時57分42秒 softbank060137202152.bbtec.net  通報   返信・引用

左苛嘉与人が廃街に迷い込む前のお話。





俺は、俺のことを奥深くまで理解してくれる人が欲しかったんだ。





事の始まりは、家庭事情にあった。

信仰心の深い我が両親は、小学校へ入学したばかりの幼い俺を連れて教会へよく出入りしていた。
教会の静けさは苦手だったから、それはもう参ったものだった。
だが、大抵の静かな場所は苦手ではなかった。むしろ、騒げば誰かが俺を叱りに来て、構ってくれたから好きな場所に分類されていたが、教会は別だった。
図書室のようなルールに従った静寂ではない、決定的に違う空気感があったのだ。気持ちの悪い空間だった。
これは後で分かった事だが、その教会には葬儀場と同種類の空気が蔓延していた。それが原因だったのだろう、嫌悪感の。
死のにおいと、この世に居ないものに対する執念による静寂。
そんな悪趣味なものが、狭苦しく詰め込まれた空間。これ以上に気持ちの悪い場所は他に無いだろ。
……それに、ただ単に、父さんや母さんが実の息子である俺よりも、神様なんてものに夢中になっていることが何より嫌だった。

おっと。いけないな。
長語りしてしまうところだったよ。
本題に戻そう。

さっきの長語りで察してくれる人もいただろうが、俺は信仰心が深いわけじゃあない。
俺は幼少期から、空想に人生を賭ける人間では無かった。
神様も天使様も閻魔様も、全て信じちゃいやしなかった。
なんならサンタクロースだって。

我ながら不思議だよ。あんなにも神様にどっぷりな両親を見ても信じようとしなかったのは。
まあ、俺は、小さい頃から周りの奴らとは違う事をやりたがる、ひねくれ者だったのだ。

例えば、そう。この話はよく覚えている。
小学生の頃、周りが鬼ごっこをしようと誘うのを無視してサッカーを始めた事がある。鬼ごっこをしていた奴らは怒ったり困ったりして俺に言葉を投げていた。
それも無視して続けていたら、誰かの顔面にボールをぶつけたんだ。
先生にそれはもう酷く叱られたさ。それからというもの、先生がよく俺に目を向けるようにもなった。

うん。この話はやっぱりよく覚えてるな。

あ、「覚えてる」っていうのは罪悪感からじゃ無くて、こうすれば構ってもらえるという知恵を得た瞬間だからだったからだぞ。念の為。
そうだな、言うなれば、構ってちゃんって奴だろうか。

ああっと、またやってしまった。
いつも"神様"の言葉を代弁している所為で、こうも自由に己の過去を語るとなると、つい、舌が回ってしまって困る。
そうだね、この場では自分を語ることは大目に見て欲しい。
そもそも、これを聞いているやつは居もしない神様くらいだ。



それで、話はいきなり何年も先になるんだが……そうだな、中学生の頃か。
ある日、両親は多くの信者と共に心中してしまった。
しかも、その頃には幹部的存在になっていたらしい両親は、その計画に一枚噛む張本人達だった。
俺は当時、今日はずっと絶対に教会にいろと言う両親を無視して教会から抜け出していた──もちろん、気を引くために。だから、そんな訳の分からないことには巻き込まれなかったが、教会に居た奴らは集団自殺していた。殆ど脅すような形だったらしく、極一部逃げ出した奴らも居たが。
そんな訳の分からない計画でも、今まで気を引こうと努めていた両親が、両親の意思で消え失せたんだからたまったものじゃなかったけどな。
俺の使命は達成されないまま、期限切れにされちまったんだから。

葬儀が終わると、俺は親戚に引き取られた。
そうそう、初めの内に言った、教会は葬儀場と同種類の空気って分かったのがこの時だ。
本当に気持ち悪い。

で、気分が悪くなって引き取られ先では殆ど部屋に引き篭もっていたさ、俺は。
更に布団の中に篭もって考え事をよくしてたものだ。
その議題の内の一つで、俺のレールを思い切り切り替えたものが一つある。
信者は良いものかもしれない。
というものだ。
両親のことはなるべく考えないようにしていたが、それに近い話題を考えていたのは、まあ、仕方がない。流石に整理が付かなかった。
勘違いしないで欲しいが、"良いもの"と言っても、善なるものという意味じゃあない。
自分にとって都合の良い可能性があるということでの"良いもの"だ。

俺は所謂、構ってちゃん。
信者は盲目的に一つのものを見つめる。まさに、自らの命を投げ捨てる程に。


その議論の結論が出たのは、引き篭もりから抜け出して、無事に通信制高校への受験も受かって、落ち着いてきた高校三年の頃だった。

もし、信者の見つめるものが俺になったのだとしたら。
俺にとって、それ以上に心満ちるものは無いんじゃないのか。

これが結論だな。

全部を振り返って客観的に見ると、ありえない結論の付け方だなと思うよ、我ながら。


それから、そうこう経て二十年くらい後。今に至る、だな。
あの集団自殺から逃げ出した奴らも、今じゃすっかり俺の宗教の信者だ。小規模なりに人数も増えてきた。本当に少しだが。
毎朝立派に教祖様の着ぐるみを着て、神様のお言葉って台本を読んで、ちいさな小さな舞台の上で拍手喝采を受けている。
そして、舞台が終わったあとの儀式。
儀式と言っても握手をするだけだ。怪しげなものはやってないさ。
ただ、信者の内心を知るには触れ合うことが一番の近道だからな。
ああ、ちなみにこれは別に道徳的な意味合いなんかじゃあない。本当に俺は、いつからか触れた相手の心情なんかを読み取れるようになっていたんだ。
有難いことだよ。本当に。
すごく。


今は、一日の演目を終えて着ぐるみを脱いで、他でもない左苛嘉与人でいる。俺は俺の言葉で自分を語っているところだ。
……そのはずなんだが。
これが台本の一部なのか、自分の言葉なのかが若干判別できなくなってたな。
少し、腹の辺りがすーすーする。
風穴でも空いたかと思って腹をまさぐってみたが、もちろん穴なんて空いてなかった。
言っておくが、腹が減ったわけでもない。

……まあ、誰かの目を惹けていることは確かなんだ。
幼い頃からの夢を叶える為には、何かを犠牲にすることも必要だってことだろ。
器用でないなら尚更。
むしろ、器用でないのに、何かを捨てただけで夢が叶っているんだ。
恵まれた人生じゃないか、まったく。


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