日蓮大聖人の仏法 掲示板
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> 福島源次郎さんが、 > > <FONT COLOR="#00FF00">> 仏法は、仏が自らの覚り(一人称世界)を、化他の相手である衆生に語りかけ(二人称世界)、成仏の道に導いていく教法です。それを文字で表現したのが経文であり、御書であります。この化導の語りかけのためには、三人称世界の概念や知識を活用する必要があり、又これ以外に方法がないのです。「(仏は)但仮の名字を以って、衆生を引導したまう、仏の智慧を説かんが故なり」 (法華経方便品) とはこのことであります。 </FONT> > > 一人称世界、二人称世界、三人称世界と言っているのは、視点の違いをそのような言葉で表現しているのでしょう。ですからその次に > > <FONT COLOR="#00FF00">> このように、仏法は本来、一人称世界のものであり、化他の面で二人称世界の局面が出てくるのであります。</FONT> > > と、<STRONG><U>仏は自身が一人称世界で悟りえた主観</U></STRONG>を衆生に伝える手段として<STRONG><U>客観法である言葉</U></STRONG>を用いる必要性がでてくると結論づけています。そして、 > <FONT COLOR="#00FF00"> > > 我々が現実世界に相い対した時の態度を考えてみましょう。まず私たちはまっ先きに現実世界を〈見)ます。見て態度を決めます。ふつうはここで、この世界を(考え)、(論じ)ます。 > > > 次に、世界に向って働きかけます。これは 〈行為の世界)を形成し、「事」とか「事行」の世界になってまいります。 </FONT> > > と、色・受・想・行・識の話をもちだして、 > > <FONT COLOR="#00FF00">> この立て分けをきちんとしておかないと、仏の説法を三人称世界に持ち込んでしまい、客観的に存在している法理を説いたものと、誤って受け止めてしまいます。仏法を然自科学や形而上学のように、客観の世界(人間の心から切り離し)の存在法のごとく説くのは、根本的に誤っているのです。 </FONT> > > 主観と客観の立て分けを論じています。
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