日蓮大聖人を末法の御本仏と信じ、日蓮正宗大石寺の本門戒壇の大御本尊を信仰の対象としている方に向け、日蓮大聖人の御心に叶い、時に叶った正しい信心とは如何にあるべきかを考えていきます。
カテゴリ:[ なんでもフリートーク ] キーワード: 法華講 創価学会 外道義
正法・像法時代の修行者は過去に仏と縁をした本已有善の衆生です。ですから自身のアラヤ識に過去世での仏様との記憶が眠っています。その記憶を禅定や瞑想といった修行によって蘇らせて仏性を得ます。
しかし末法の衆生は過去に仏との縁が無い本未有善の荒凡夫ですので、末法においてそのような禅定や瞑想修行を行っても仏性を得ることは出来ません。
ですから大聖人様はそのような末法の凡夫でも仏性を得られるように御本尊を著されました。御本尊の説明をしだしたら更に長くなりますので今回は端的な説明にとどめてさせて頂きます。
以上の説明で凡夫でも仏の境地にたどり着けるという事はご理解頂けましたか?
戒壇の御本尊様が何故必要なのですか?
自身が大聖人様が著された御本尊様に向かってお題目を唱えれば自然に仏界に至るのです。
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ、只我れ等衆生の法華経を持ちて
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」
『日女御前御返事』
つづく