日蓮大聖人を末法の御本仏と信じ、日蓮正宗大石寺の本門戒壇の大御本尊を信仰の対象としている方に向け、日蓮大聖人の御心に叶い、時に叶った正しい信心とは如何にあるべきかを考えていきます。
カテゴリ:[ なんでもフリートーク ] キーワード: 法華講 創価学会 外道義
> しかし末法においては、そのような大変な修行をして意識を奥深く沈めていかなくても、
目の前に九識が顕されているので直ちに仏の境地に自身の意識をもっていけるのです。
法介さんは既に戒壇の大御本尊様への信仰からは離れていると思っていましたが、
上記のようなことはどのような方法でなさるのでしょうか?
目の前に九識が顕されているとは?
もしかして、いわゆる「御本尊」のことなのでしょうか。
その場合の「御本尊」とは法介さんにとってどのような位置付けなのでしょうか?
法介さんの信仰のあり方は?、只々???です。