日蓮大聖人の仏法 掲示板

日蓮大聖人を末法の御本仏と信じ、日蓮正宗大石寺の本門戒壇の大御本尊を信仰の対象としている方に向け、日蓮大聖人の御心に叶い、時に叶った正しい信心とは如何にあるべきかを考えていきます。



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ] キーワード: 法華講 創価学会 外道義


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[206] 法介さんへ

投稿者: 妙介 投稿日:2019年 9月 1日(日)08時49分53秒   通報   返信・引用

8月24日の法介さんの投稿があまりにも久し振りにだったため、途中の経過を失念しておりました。

法介さんがご自身のサイトで、戒壇の大御本尊から離れるといった趣旨の発言をされたことに対して、2018年10月3日に私が意見を投稿しようとして出来なかったので、こちらに貼り付けておくとした投稿に対する返答だったのですね。

いやぁ、すっかり忘れておりました。失礼しました。

かつては熱烈に信仰しながら、様々な経緯で戒壇の大御本尊様から離れて行く人は沢山います。
私の知り合い(あくまでネット上ですが)で、もっとも有名な方は犀角独歩さんです。彼の主張は今でもネットで読めますし、ブログでの発信も続けていらっしゃいます。

実は私が20代の頃、蘇生の集いの中部方面の中心者で、福島源次郎さん達と蘇生講の立ち上げに尽力した私の信心の大恩人も最後には戒壇の大御本尊様から離れました。

昭和30年代から昭和の後半にかけて、広宣流布は達成されると本気で思っていた人はたくさんいたのではないでしょうか。
かく言う私もその一人ではありました。
平成に入って福島源次郎さん達との活動をやっていた頃も、まだ希望は捨てていませんでした。

平成も後半に入ると、外道義混入の問題を十分理解し、かつ戒壇の大御本尊様への信仰を保っているのは自分だけかもしれないと思うほど、独りぼっちの絶滅危惧種のような存在になりました。

そんな時に私に連絡をくれたのが法介さんでした。
2016年でしたね。

せっかく外道義混入の問題に気づいても、その後戒壇の大御本尊様からまで離れてしまうという人が多かったため、私なりに編み出したロジックが、法華経の成立と戒壇の大御本尊様の成立は似ているのではないか、というものです。

法華経の成立は諸説ありますが、釈迦滅後であることは間違い無く、釈尊の弟子達が釈尊の意を呈して成立させたものです。
ですので、法華経を仏説そのものであるとするには、議論のあるところです。
しかし大聖人様は、法華経の一文字一文字が仏の金口であるとご指南されています。
このロジックをそのまま戒壇の大御本尊にも当てはめれば良いのではないかと思うのです。

大聖人様の弟子達が、大聖人様の意を呈して戒壇の大御本尊様を作った。
何故作ったのか?
大聖人様の仏法の信仰を成立させる為に必要だからです。
事の一念三千を展開させるために必要不可欠なもの、それが戒壇の大御本尊様である、というのが私の考えです。

「そんなの御書のどこに書いてあるんだ!」というツッコミが聞こえてきそうですが、私には有師・寛師・淳師・石田氏といった、信仰の巨人達の肩の上に乗って信仰を解釈しているという自覚はあります。











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