日蓮大聖人の仏法 掲示板

日蓮大聖人を末法の御本仏と信じ、日蓮正宗大石寺の本門戒壇の大御本尊を信仰の対象としている方に向け、日蓮大聖人の御心に叶い、時に叶った正しい信心とは如何にあるべきかを考えていきます。



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[204] 析空と体空

投稿者: 法介 投稿日:2019年 9月 1日(日)07時08分11秒   通報   返信・引用   編集済

 あと、妙介さんに気づいて欲しいという想いから追記させて頂きます。

大聖人様が『三世諸仏総勘文教相廃立』561ページの中で言われている、

「方便品に云く「三世の諸仏の説法の儀式の如く我も今亦是くの如く無分別の法を説く」已上、無分別の法とは一乗の妙法なり」

の無分別の法は、以前妙介さんが発言されました、

「コップの水を飲みました。私と水は一体となりました。これが無分別です。」

 とは全く意味合いが違います。私が今回妙介さんに析空と体空の違いを投げかけたのも、実はここのところの理解が妙介さんは出来ていないと思ったからです。面白いことに今回、妙介さんが引用なされた福島源次郎さんの文章にもそれが現れています。源次郎さんは「色・受・想・行・識」に沿って話を結論づけておられますが、私は自身の論説の中でその「色・受・想・行・識」を空じる話につなげて無分別にむすびつけて論じています。この違いが析空と体空の違いです。

 析空に陥った説一切有部の「有部」の意味は、縁起を悟って我が無いことは理解するが、「色・受・想・行・識」の法は三世に渡って存在するといったものです。これに対し竜樹は、「般若心経」で説かれる「照見五蘊皆空」をひも解いて、色・受・想・行・識の五蘊も空じる対象であることを論じて説一切有部の析空を破折し大乗仏法を展開していきます。

 色・受・想・行・識を空じるということがどういうことか、先程紹介しましたサイト「・・・なんだそうか般若心経」を読めば理解できるかと思います。

http://www.mitsuzoin.com/nanda_hannya03.html
その三 判断のメカニズム[照見五蘊皆空]

http://www.mitsuzoin.com/nanda_hannya10.html
その十 絶対なんて絶対ない…[是故空中無色無受想行識]

http://www.mitsuzoin.com/nanda_hannya11.html
その十一 接待の心得[無眼耳鼻舌身意無色聲香味触法無眼界乃至無意識界]



 妙介さんが以前発言なされた、

「コップの水を飲みました。私と水は一体となりました。これが無分別です。」

 は、五蘊が働いています。これは析空の域で体空は、水を見たり、味わったり、触ったり、飲んだりするのではなく、そういった五感の認識から離れたところに意識をもっていこうとするものです。1~6識までで働く五蘊を空じて7~9識に意識をもっていく訳ですが、7識の分別を生み出す元となる自我を滅した8識・9識が無分別の「空」の境域となります。

「九識法性をば、迷悟不二・凡聖一如なれば空と云うなり、無分別智光を空と云うなり」『御講聞書』




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