日蓮大聖人の仏法 掲示板

日蓮大聖人を末法の御本仏と信じ、日蓮正宗大石寺の本門戒壇の大御本尊を信仰の対象としている方に向け、日蓮大聖人の御心に叶い、時に叶った正しい信心とは如何にあるべきかを考えていきます。



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[200] 自己認識

投稿者: 法介 投稿日:2019年 8月31日(土)17時40分29秒   通報   返信・引用   編集済

> 最初に書いたように、人は自分自身について原理的に主観視点(一人称視点)しか持ち得ません。
「客観的」に考える事は出来ても、本来の意味での客観視は原理上出来ません。

人は原理上、自身の姿を客観視することは出来ません。それは医学や科学に則ったお話です。
私は仏法のお話をしているのです。
リンゴのお話は、人が感じ取った主観は100%完璧に人に伝える事は出来ないということを言わんとする例えです。言葉じりだけを取り上げて突っかかってくる妙介さんに少しだけお付き合い致します。

> 本来の意味での客観視は原理上出来ません。

私がどこかでそのようなことを言いましたか?
私は論中においても、ここでも「物の見方、捉え方、考え方」といってると思います。

更に言葉じりの次元で言うならば、妙介さんは
ここにきて

>「客観的」に考える事は出来ても

と言われていますが

> 個人が頭の中で考えてることは全て主観である

との最初の発言とに矛盾が生じています。
妙介さんがこのような論争を望まれているのであるのならば、
私は辞退させて頂きます。

妙介さんは自己認識に主観的自己認識と客観的自己認識があることをご存知でしょうか?
妙介さんが言われている部分は「色・受・想・行・識」の五蘊の働きでいうことろの「色と受」の関係にあたります。外界の有様(色)を五感で感じ取る(受)様です。私が言っているのはその次の「想」において、主観的に想像(考える)するか客観的に想像するかの視点の違いを述べているのです。

夕日が沈む様子を見て太陽は西に沈むものだと考える人は客観的な視点に立った自己認識です。
かたや、夕日を見て美しいと考える人は主観的な視点に立った主観的自己認識です。











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