teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. アーカイブ(0)17/03/09(木)01:13
  2. 足あと帳(0)17/03/06(月)17:35
スレッド一覧(全2)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:34/887 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

ミクロコスモスとマクロコスモス

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 9月22日(日)07時49分13秒 p843205-ipngn14201marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
  通報 返信・引用 編集済
  ■どうして文学の掲示板で「グローバリズム」や国際情勢についてあれこれ云々しているかといえば、
この大きな動きの背景には、
人間どもを量的なバイオマスとして客体化し、操作したり培養したり
飼育したりできると思い込んでいる「人間」がいる
そんな傾向に対して、低い「虫瞰図」の地べたから、
イヤらしく、いじいじと、愚痴や、不平や、物言いをしたい、からなんですね。


■一方、文学の根底には、
個人の内部に沈潜していくと、普遍性に至る、
あるいは、ミクロコスモスはマクロコスモスに通底する、
という、古代神秘主義的・ルネッサンス的世界観が、背景に根強くある。
ゲーテもダンテもドストエフスキーも、
漱石も潤一郎も、戦後派文学(とくに第一次戦後派)も、そうですね。
自分を描き、他者を描き、その間の心理の綾を描き、背景の世界を描くと、どうしても、そうなってくる。

いいかえると、
科学技術や計量的発想が世界を覆う時代において、しばしば卑しまれている原始的なアナロジーの思考は、
「精神の自由」のもと、死守しなければならない。

それ自体が、「小説」という形式に内在する智慧(作者の知恵ではなく)というもの。
いやいや、俺は、そんなことをまったく考えていない
自分の身辺雑記にしか興味がない偏屈な私小説作家なんだ、
反時代的毒虫なんだ、といういまどき奇特な小説家ですら、
書いている文章の背景には、「個」から「世界」へ、
反時代、反世間だからこそ、しんじつの人間の姿が映し出せるはずだ――という確信が透けて見える。


               *


■管理人はむかし、内向の世代とヌーヴォーロマンの小説を読んで、
つまらないなあ、辛気くさいなあ、小説は世界的にもう、貧血症に陥っているのかなあ、
どうしてこうなってしまったののかなあ、
おまけにR・バルトなんて、「作者の死」とかいってるしなあ。
じゃあ、自作原稿に、作者名なんか書かなきゃいいのになあ、
フーコーにいたっては、
「人間」なんて概念はある時期に作られたもので所詮は砂に描いた模様にすぎない、
とかのたまわっているしなあ。
…この今読んでいる内向の世代の教養あふれる作家は、文章は繊細だし、とても練達してるけど、
「淫ら」「淫ら」とお経にように連発するだけで、ちっとも具体的な形象は結ばず、
いっこうにエロチックにもならず、女のイメージが見えてくるわけでも何でもないじゃないか……。

~などとつぶやきながら、
つらつらページをめくって退屈していたところに、
いきなり、ガルシア=マルケス『百年の孤独』、
ゲイリー・アレン『ロックフェラー帝国の陰謀』を、ほぼ同時に、手にとったんですね。
――要するに、読者の側からの「物語性」の復活です。


■前者は20世紀のシュールレアリスムを吸収した上での土俗と歴史、
荒唐無稽と文明批評と、色彩感覚、形象感覚、
それらを、孤独な憂愁と悲哀が、水のように覆っている。
後者は、一般のジャーナリズムやマスコミで語られている情報の総否定。
しかも、この陰謀論なるもの、ある意味では「文学」そのものです。
たとえば、いまネットを超えて、一般メディアですら論じられているFRBや中央銀行(日銀を含む)の非正当性、
これを第二次大戦中にイタリアからラジオ放送でとなえて、
戦後アメリカに行くと「非国民」「ファシスト」「反ユダヤ主義者」あつかいされて
精神病院にぶちこまれたのが、あの詩人のエズラ・パウンドだった。
その遺志を託された弟子が、
現在、多くのネット系陰謀論者のネタ本となっているユースタス・マリンズの著作。


                *


■要するに、
遠洋漁業(幻想、イマジネーション、ドラマ、陰謀、力学、叙事詩)がなかった貧血的・神経症的文学に、
ふたたび、白鯨を追うエイハブ船長の捕鯨漁や、大航海時代や、
『老水夫行』や、『アラビアンナイト』や『聊斎志異』の幻想が甦り、
文学の主体が感情の裏付けのあるイマジネーションであることを再証明していくのではないかと、
心ときめいたからなのであります。
マルケスのみならず、一見、書斎派然としたボルヘスもまた、
幻視家と百科全書派がむすびついた文学の冒険家ですね。
もちろん、文学の遠洋漁業は、
しばしば実存的密度、血肉を失って、単なる大型のガラクタ、フィクションの難破船になってしまう。

          ~それはともかく


■だから、トランプがどうだ、ヒラリーがああだ、エプスタインがこうだ、というゴタクも、
半分は、現実世界、半分は物語世界、つまりはグローバル時代のアラビアンナイト、
つまりは、虚実皮膜の間の狭く危うい稜線上を辿っていく見聞録、エセー、
見立て、パサージュ論、なのであります。


~まあ、だから、
「なんなんだ?」ってえ、話にもなるんですけど。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※ちなみに「パサージュ論」のベンヤミンは、

「19世紀とは個人的意識が反省的な態度をとりつつ、そういうものとしてますます保持されるのに対して、
 集団的無意識のほうはますます深い眠りに落ちていくような時代なのである」

という素晴らしい言葉を残しています。
つまり、個々人の自意識は鋭く過酷になるものの、時代のうねりを作る集合的無意識の層は眠りに落ち、
その二つの層は限りなく乖離していく。
これは一種の預言で、20世紀も、21世紀も、同様のようですね。


 
 
》記事一覧表示

新着順:34/887 《前のページ | 次のページ》
/887