teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. アーカイブ(0)17/03/09(木)01:13
  2. 足あと帳(0)17/03/06(月)17:35
スレッド一覧(全2)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


大アジア主義

 投稿者:大堀敏靖  投稿日:2017年10月16日(月)11時19分20秒 pdcd3bf68.tubehl00.ap.so-net.ne.jp
返信・引用
  ■しかし、日・中は、一つにはなっていないですね。

魯迅の「阿Q正伝」を紹介されてますが、魯迅は日本に留学して、仙台に学び、そこでお世話になった先生のことを「藤野先生」という小品に書いてますね。
 太宰が魯迅を主人公に「惜別」を書いてますし。

 奈良時代の遣唐使阿倍仲麻呂も李白と仲良くなって、ベトナム方面に仲麻呂が流されててっきり死んでしまったと思った李白は仲麻呂追慕の詩を吟じてますね。

 頭山の下には孫文、蒋介石、汪精衛などが父親のように慕ってきていますね。

 近い国なので友好関係で結ばれなければならないと思います。
 オーストラリアとニュージーランドは仲いいらしいですから。

 おそらく中国共産党と中華思想をなんとかすべきだと思いますが、向こうも「アベ」と「日本会議」を、とか言ってるんでしょうね。

>「ブルース・リー論」でも書いてみてはどうですか?

 そのうち書きます。


 
 
 

ありゃ!

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月16日(月)01時14分12秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  【【悲報】
前原誠司代表「約束が違うので希望の党には 金も渡さないし、支援もしない」希望の党
小池氏   「・・・・」    (Japamore) 】

https://www.youtube.com/watch?v=QFrICZI5ABA

■なんか、凄いことになってますね。
狸と狐(前原は狐顔ではないが)の化かし合い?



              *


~一方で、立憲民主党は
https://twitter.com/equrio/status/919085997631008768?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=https%3A%2F%2Fshanti-phula.net%2Fja%2Fsocial%2Fblog%2F%3Fp%3D137397
■これは新宿?
個人の動画でも、一応、場所と日時は明記して欲しいナ。




これだけは、どうしても、日本国民に与えたくはないらしい「草の根民主主義」への期待は、熱い。
何度も「民政自治」は、挫折させられてきたのだから。
とはいうものの……。
https://twitter.com/miraisyakai/status/918966088280416257
■しかしこの分じゃ、
野党結集は無理で、結果的には、安倍セーフなのか。
その場合も、加計追究、「国家私物化」暴きが、イヤラシク、シツコク、続くはず。





 

「ブルース・リー論」のすすめ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月15日(日)12時18分38秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  >ジャコメッティという彫刻家を私は知りませんでしたが、偶々本日の中日新聞に
豊田市美術館で本日から「ジャコメッティ展」が開催されるという広告が出ていました。

■造型的にも面白いし、当時の実存主義者や詩人たちが関心を持ったくらいだから、
いろいろと触発されると思います。覗いてみてはどうですか。
ちなみに私は、下の作品が好きです。


              *

>アジアが一つになって、西洋列強に抗することは大アジア主義を掲げた頭山満の
理想でありました。
ですから、頭山が亡くなった時、ブルース・リーは三歳でしたが、
頭山がもしブルース・リーの映画を見たら、絶賛しただろうと思われます。

■しかし、日・中は、一つにはなっていないですね。
ある部分、日本は西洋列強を、コピーした。
まあ結局、あの大戦は、12月8日を境にして、
「大東亜戦争/太平洋戦争」という二重映しになっている構造があると思います。
日本の大アジア主義やアジア戦略には、ここに断層があるのではないか、
あるいはもともと、理想と権益、
オモテとウラの二重構造だったのではないか、とも思う。

李小龍のあの映画も、
列強に植民地化された清朝末期の公園「犬と中国人入るべからず」のお触書の屈辱を、
最後に、主人公の討ち入りと死によって、カタルシスにかえていくという、ドラマ展開になっている。
これはちょうど、魯迅の『阿Q正伝』の逆ですね。
ほとんど道化のような阿Qは、環境に対しては、抵抗も反抗もできずに、
「精神勝利法」というヘンな妄想を編み出してリンチにあうだけ。
あまり小説としては豊かな作品ではないが、
しかし、珍しいドライフルーツのような味わいがあり、
魯迅にしか書けない印象的で象徴的な、Onlyワンの作品にはなっている。

それにしてもこの『ドラゴン怒りの鉄拳』の道場破りの場面、
上海の日本租界あたりにあったという設定なのだろうか、
庭園や床の間などの日本的な"記号"がふんだんにちりばめられていて、別の観点からも興味深いですね。


~ところで大堀さんも、赤穂君(「群系」赤穂貴志氏)の映画評論の向こうを張って、
「ブルース・リー論」でも書いてみてはどうですか?


ジャコメッティ作「鼻」
 

円空、ブルース・リー、頭山満2

 投稿者:大堀敏靖  投稿日:2017年10月15日(日)01時40分13秒 pdcd3bf68.tubehl00.ap.so-net.ne.jp
返信・引用 編集済
  ジャコメッティという彫刻家を私は知りませんでしたが、偶々本日の中日新聞に豊田市美術館で本日から「ジャコメッティ展」が開催されるという広告が出ていました。
 こういう場合、わたくしは観に行くと思います。
 彫刻がわかるような人間ではありませんが…。

 円空は岐阜ゆかりの人ですが、十二万体の仏を彫ることを発願して、その大願が成就すると土の穴に入って即身成仏をしてしまった僧侶です。

 頭山満の玄洋社社員だった来島恒喜も大隈重信に爆弾を投げると外務省門前で壮烈な自決を遂げました。

 山口二矢も社会党委員長刺殺を成し遂げると、少年鑑別所に移された日の夜にシーツを切り裂いた紐で首を吊って自殺しました。

 三島も市ヶ谷バルコニーで演説した後自決しました。

 昔の築城師は城が完成するとやはり腹を切ったということです。

 仕事を成し遂げると死んでしまうというこの不可解な行為は西洋人にも、戦後の日本人にも理解の範疇を超えていると思うのですが、生死を超えた仕事こそ本物で、強いメッセージがこもるものと思われます。

    ※

 ~しかし、ブルースリー、天皇陛下の御真影と同じ壁に、写真掲げるの、日本の武闘家じゃなくていいんですか?しかも、大堀さんが大嫌いな中国系のスターじゃないの。『ドラゴン怒りの鉄拳』だったかでは、こともあろうに、カイゼル髭を生やした日本の武道の師範をやっつけているゾ。


 よく御存知です。

「ドラゴン怒りの鉄拳(Fist Of Fury)」は日本人がコテンパンにやられる悪役の設定になっておりますので日本公開が遅れたのでありますが、公開に踏み切ってみればストーリーなどそっちのけで、ブルース・リーの悲壮感漂う雄姿に日本人は熱狂したのであります。

https://www.youtube.com/watch?v=B4chkbDd6L8

 しかし、この作品以外ではブルース・リーが打ち負かす敵は大抵白人であることに注意しなくてはならないと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=ggSM6wn8M6I

 コロンブスの米大陸発見以来、虐げられてきた東亜、南米、アフリカ諸民族の積年の怨念をブルース・リーは一身に背負って、映画の中に華麗なるアクションとして徒手空拳でもってその恨みを見事に晴らしてくれたことに拍手喝采したのだと思われます。

 それは叩きのめされる西欧人をも魅了するだけのアジア有色民族の血がもたらす力がありました。

 ブルース・リーは東洋、アジアを代表して、その伝統を遺憾なく、たった四本の映画の中に織り込んでよく世界に示してくれたと思います。

 アジアが一つになって、西洋列強に抗することは大アジア主義を掲げた頭山満の理想でありました。

 ですから、頭山が亡くなった時、ブルース・リーは三歳でしたが、頭山がもしブルース・リーの映画を見たら、絶賛しただろうと思われます。




 

円空、ブルースリー、頭山満

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月14日(土)06時31分8秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
                ◇



ずいぶん、安倍崇拝のトーンが下がったもんですなー。
以前、大堀さんは「安倍」とは表記していたけれど、
「シンゾー」というやや滑稽化させたニュアンスでは、書かなかった。


              *


■円空は私も凄いと思いますよ。
ジャコメッティ展に行ったとき、円空を連想し、
円空展に行ったとき、ジャコメッティを連想した。
飛騨高山には縁がありますね。
http://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs/37

当時の仏像の様式を超えた現代彫刻感覚の作品を多く残している円空も凄いけれど、
それを薪や焚き木として燃やさず、保存しておいた素朴な日本各地の民衆も、凄い。
下手糞な、変な仏像……とはみなされなかった。
この美的センス。(下写真)



~しかし、ブルースリー、
天皇陛下の御真影と同じ壁に、写真掲げるの、日本の武闘家じゃなくていいんですか?
しかも、大堀さんが大嫌いな中国系のスターじゃないの。
『ドラゴン怒りの鉄拳』だったかでは、こともあろうに、カイゼル髭を生やした日本の武道の師範をやっつけているゾ。

              *

>でも、新聞の世論調査では、立憲民主は自民、希望に次ぐ第三党で、希望が自民の補完、
亜流だとすれば、野党第一党で議員は倍増しそうですから大したもんです。

■どうなるかわかりませんよ。
「票を投じる者が決定するのではない。票を数える者が決定するのだ」(スターリン)のだから。
海外とも関係のある新旧の利権勢力が、自民と希望との背景で、
いま、猛烈な綱引きをやってるんじゃないですか。


              *


>草原さんにとっては、枝野なんかより山本太郎のほうが、興味深いし、期待できるようです。
 わたくしには違いがほとんどわかりません。

■いや、両方とも、青臭い「書生論」を掲げているところは一緒でしょうね(笑)。
理想や、羅針盤がないと、北極星を見失い、現状の大波小波やとつぜんの潮流変化に、巻き込まれてしまう。
希望の踏み絵を、あえて踏んで代議士の椅子にしがみつくよりは、
原理原則にこだわる人間のほうが面白い。
というか、人々に対して、何らかの示唆を与える。
小池オシロイ狸には、権力志向は見え見えでも、ポリシーがない。

山本個人がどうの、枝野個人がどうの、どっちが期待できるだの、というより、
そういう政治家を生む現在の日本国民の集合意識、政治的リビドー、みたいなものがあると思うんですよ。
強権政治に反発する「ボトムアップ」「草の根」「市民型民主主義」への世界的な要望と連動している今の流れが。
彼らの主義主張と、市民大衆の集合意識のうねりは、
いくら上から操作しても、もはや、消すことはできない。

~しかし、いったん、権力を持つと、
山本太郎であろうが、枝野であろうが、多かれ少なかれ、腐敗する。堕落する。
菅直人がいい例だ。
厚生省の薬害問題を追究していたと思ったら、首相になった途端、TPPを言い出した。
一夜にして、市民政治家は、植民地総督に変貌する。
それが永田町の現実。

そういう視点は必要だと思います。
大堀さんは、「権力」を必ずしも悪と見るべきではないといい、
それは貴兄の明治という時代の評価につながっているわけだけれど、それは楽観的すぎると私は思います。
人間は白でも黒でもなく、まだら模様だと思ってますから。

               *


■今度、大堀さんは、頭山満論を書くようですが、期待してます。
現状の日本の右翼・民族派(安倍晋三や日本会議がその代表ですね)を名乗る者たちと、
戦前、東亜解放を掲げた玄洋社・黒龍会は、思想的につながっているのか、いないのか。
私はかなり、アヤシイと思いますがね。



現代アートのオブジェを連想させる円空作品
 

ありがとうございます。

 投稿者:大堀敏靖  投稿日:2017年10月13日(金)01時54分31秒 pdcd3bf68.tubehl00.ap.so-net.ne.jp
返信・引用
  ■枝野にはカピバラほどの徳はありませんよ。…
追い詰められたあげく、清水の舞台から飛び降りたら、半身不随になるかわりに、
たまたま羽根布団の中に飛び込んで、クスダマが頭上で割れて、ファンファーレが鳴った、
棚ボタ的なハプニングが起ってしまった、という話。

 そうなんですかぁ。
 でも、新聞の世論調査では、立憲民主は自民、希望に次ぐ第三党で、希望が自民の補完、亜流だとすれば、野党第一党で議員は倍増しそうですから大したもんです。


 草原さんにとっては、枝野なんかより山本太郎のほうが、興味深いし、期待できるようです。
 わたくしには違いがほとんどわかりません。

>大堀さんの崇拝する安倍晋三や、小池オシロイ狸…

崇拝まではしておりません。
わたくしが部屋に掲げているのは、天皇皇后両陛下、皇太子、皇太子妃両殿下のお写真とブルース・リーと円空の木彫りの仏像の写真だけで、シンゾーの肖像など掲げて朝な夕な拝礼してなぞしておりません。

 國體に対する理解があるとはいえ、反面グローバリストで、自国語でなく、英語で英語を指導するという、自ら属国に成り下がるにも似た犯罪的教育施策を講じようとしているところなど、許容できるものではありません。

■大堀氏はよく「左派=反日」というけど、いまある現状の体制や、制度、政治の腐敗に対して批評意識・批判意識を持つということは、その制度そのものが未来に存続するためのホメオスタシスとしても、必要なことではないですかね

 その通りでありまして、必要だと思います。
 ただ、愛国の部分では共通して、国歌を歌い、「天皇陛下万歳!」と心の底から叫ぶことのできる日本人であるという、最低限の共通基盤は持ってしかるべきだと思います。

 共産党など戦略的に、国会への陛下のお出ましに出席するようになったらしいですけど、愛国の一点においてつながった批評、批判でないと、議論にもならないと思います。
 「アベ独走をストップさせる」というような相手の存在自体を否定するような選挙理念ではホメオスタシスにもならないのではないかと思います。
 仰ぎ見る共通の一点がないことには、健全な野党としても機能も果たせないと思います。


 年代別の政党支持率では二十代の自民支持率が40%強ありまして驚きですが、これはマスコミよりネットで情報を得ている世代は保守化しているということと、就職がよくなって、アベ政治のお陰だと思っている若者が多いからだと思いますがどうですか。

 岐阜でも時折「九条の会」の人々がプラカードをもって、「アベ政治を許さない」とか「安保法制廃棄」などと訴えていますが、見事に年配者ばかりです。

 それにしてもシールズの若者たちは今何処ですか?

 

カピバラ?

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月11日(水)23時50分55秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  ■枝野にはカピバラほどの徳はありませんよ。
なにしろカピバラは、演説やスピーチなどしなくても、
寝ているだけで、カモは寄って来るわ、亀はなごんでしまうわ、花々は咲き乱れるわ、
まるで、動物界の寝釈迦、釈迦涅槃像みたいな存在で、独特の癒し系オーラで有名なんだから。
(下、写真参照)

枝野はそんな高邁な存在ではなく、
もっと、わかりやすい政局の因果関係で、今回の行動を起こしている。
追い詰められたあげく、清水の舞台から飛び降りたら、半身不随になるかわりに、
たまたま羽根布団の中に飛び込んで、クスダマが頭上で割れて、ファンファーレが鳴った、
棚ボタ的なハプニングが起ってしまった、という話。

自分らが作った「踏み絵」を踏めとかいう、小池百合子・希望の党みたいに、
わけがわからんことを言っていない。
とりあえず、スジを通したというだけ。
じつに、わかりやすい。
つまりは、そういうスジですら、大堀さんの崇拝する安倍晋三や、小池オシロイ狸には見当たらないというコントラストが、
今回の騒動によって、ますますくっきりと明瞭になったというだけの話。

~それと、大堀さんは、
革マルや、中核、共産党という、怖ろしいボキャブラリーにふれると、たちまち感染症になって猩紅熱が出るらしいけど、
それらのセクトの闘士と、その弁護士をする人間というのは、
法的には、まったく別次元だと思うが、その辺はどうなのか。
どんな人間でも、弁護士を持つ権利を奪ってはいけないというのは、
当たり前の近代の法治国家のお約束なのでは?
~私は、枝野本人の過去の思想は、とくに興味もないので、追っかけておりません。

■大堀氏はよく「左派=反日」というけど、
いまある現状の体制や、制度、政治の腐敗に対して批評意識・批判意識を持つということは、
その制度そのものが未来に存続するためのホメオスタシスとしても、必要なことではないですかね。
よりよい多様な制度をシミュレーションしたり、批判的に検討することは、
別に左翼でも、反日でもない。
トヨタの「カイゼン」は世界的に有名だけど、
別に「カイゼン」の思想やコンセプトは、反トヨタではない。


   ~しかし、この種の議論は、「群系掲示板」の方でも、さんざんやったと思うんですけどね。



▼枝野はここまでおおらかではない
 

枝野は立派!

 投稿者:大堀敏靖  投稿日:2017年10月11日(水)03時16分35秒 pdcd3bf68.tubehl00.ap.so-net.ne.jp
返信・引用
  「一見民主党」とか「左残オールスターズ」とか揶揄され、

枝野氏自身もカピバラに似ているとか、

https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E3%82%AB%E3%83%94%E3%83%90%E3%83%A9+%E6%9E%9D%E9%87%8E

吉本芸人にそっくりとか言われ、

http://sokkuri.net/alike/%E4%BB%8A%E5%88%A5%E5%BA%9C%E7%9B%B4%E4%B9%8B/%E6%9E%9D%E9%87%8E%E5%B9%B8%E7%94%B7

てますが、

簡単に変節してしまって、小池に靡いている腰抜け議員と比べれば、
立憲民主党を立ち上げた枝野さんは、踏み絵を踏むことを拒否し、耶蘇教殉教者のように崇高な後光が射すようで、政治家として理念を曲げずに信念を貫いたということで、わたくしは立派だと思います。

保守側からも賞賛の声が上がっています。

https://www.youtube.com/watch?v=OlYaG6eKGPg

https://www.youtube.com/watch?v=FdgmWHBzPKE

 私が学生時代バイトをしていた塾の塾長は元中核派の活動家で、中核派は革マル派と内ゲバをやり、私の通った大学では学祭を牛耳って、パンフレットを学生に買わせ多額の活動資金を稼ぎ、共産党の学生組織民青と対立していたようでした。

枝野さんはその革マル派の弁護士をしていたそうで、こちらから見ると同じ左派のように見えますが共産党とは一線を画しているようです。

欧米人から見ると韓国、中国と日本は同じに見えるのでしょうが、「あんなのと一緒にしてくれるな」というのが、当事者たちの言い分で、左翼のセクト間も当事者たちは「全然ちがうじゃねえかー」と言いたいのでしょう。

ごった煮になっていた民進党がともかくも分裂して、左も右もすっきりまとまったというのが武田先生の解釈のようです。

小市民候補者を応援して、アベ政治批判を行う山本太郎は中核派と関りがあるという専らの噂です。

 そうすると枝野さんと山本太郎は内ゲバ闘争になってしまうので、共闘することは難しいということになります。

 そうなんですか?

 草原さん。
 

「国難首相」の対立候補・黒川敦彦を応援する山本太郎演説

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月10日(火)20時14分47秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  (モリ・カケ問題を追究する)黒川敦彦を応援する山本太郎演説


【山口4区 山本太郎の応援演説の後
 黒川敦彦さん「これから二週間がんばってまいります!」 10/10 26分 】
https://www.youtube.com/watch?v=SeJTg65r0vU


               *


 ▼背景はこういうことですね。

【衆院選・山口4区 山本太郎 アベ首相に公開討論会申入れ 顔こわばらす昭惠夫人】
http://tanakaryusaku.jp/2017/10/00016772
>山本太郎参院議員が応援スピーチをした。
 「投票所で『黒川』と書いて、外に出たら『安倍さんって書いた』と言えばいいんです。
 安倍さんが落ちても皆さんの仕事に影響はありません。比例で復活するからです。
 国家を私物化した人にはお灸をすえる必要があります」。

               *


 ▼その立候補した黒川敦彦なる人物とは、

【衆院選・山口4区】「加計隠し問う選挙」今治の市民運動家がアベ首相の対立候補に
http://tanakaryusaku.jp/2017/10/00016767
>加計学園に土地を無償で提供し、建設費の半分を負担する今治市民はたまったものではない。
地元住民の怒りを代弁するかのような動きがあった。「今治加計獣医学部問題を考える会」共同代表の
黒川敦彦(39歳)が、あす10日に公示される衆院選挙に安倍首相の選挙区(山口4区)から
立候補するのである。無所属だ。
https://twitter.com/hashtag/%E5%B1%B1%E5%8F%A34%E5%8C%BA%E3%81%8B%E3%82%89%E7%AB%8B%E5%80%99%E8%A3%9C?src=hash



■こちらは、山口での選挙カーで、黒川候補のウグイス嬢(?)をやる山本太郎の動画。
やっぱり、芸人ですね。
https://twitter.com/miyukic47147796/status/917618242675400706



          ~まあ、お灸ていどにしかならないだろうけど、
           どの程度のお灸になるのか、
           火傷になるのか、ならないのか、跡は残らないのか、
           それとも………というあたりが、見ものでは、あります。





 

「独裁者に従うか、独裁者を追い出すか」の選挙

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月 8日(日)13時20分1秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  【独裁者に従うか、独裁者を追い出すか】
藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2017年10月4日
http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/2017/10/2017104-893f.html

■10月4日付の話なのだけれど、
何となく、いまの枝野立憲民主党の出現の預言のような。
次の選挙は「独裁者に従うか、独裁者を追い出すか」の選挙だというのは、面白い。

経済アナリストの藤原氏(※)は、独裁ではなく、ボトムアップ型・草の根型の
中道左派系のニッチ政党が必要だというのだけれど、
実はかつての民主党、外務省謀略で潰された鳩山(小・鳩)政権や、
検察謀略で陥れられた小沢・生活の党あたりが、そのラインだったのではないですかね。
あるいは、個人で言えば、山本太郎の路線。


■それにしても、「希望の党は、絶望から生まれた絶望の政党」とは、ひどいですねえ。
アーミテージ、M・グリーン、小泉、安倍、
とにかく、その時その時の強い者に、ネクタイやハンケチを持って、擦り寄っていく。
ポリシーは、関係ない。
結局、ヤリ手だとされていたお白粉狸は、
安倍晋三の失政から、何も学んでなかったんですね。
この二人、イソップ童話の「北風と太陽」の話を知らないのだろうか。

~排除のココロは、ユリゴコロ。
 手法は一緒。


                *


■むむっ!
しかし、この最近の小沢一郎の怪しい動きは、一体、何だ?
希望の党の背後にも、
立憲民主党の背後にも、
無所属になって野に放たれた小沢の潜入ニンジャ部隊の影が……。

【2017年10月6日 小沢一郎代表 記者会見】
https://www.youtube.com/watch?v=QZCc8abKZLs



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

>経済アナリストの藤原氏(※)

■この話の中で、藤原直哉氏は、ゴールドマン・サックスが、ただの銀行になったといっています。
つまり、投資銀行という、戦闘的な性格がなくなったということでしょうか。
リーマン・ショック以来、世界の金融界で断トツの一人勝ちの観のあったゴールドマン・サックスが、
二転三転して、ついにおとなしくなってしまった――というのは、
まさに時代の転換が、本物だということでしょう。
若い頃に、米国のソロモン・ブラザースに勤務していた彼の指摘だけに、説得力がある。

藤原氏の言う「経済」が、欧米のエコノミーや、ファイナンシャルの概念よりも、
むしろ、東洋的な「経世済民」や「民の竈」であるところが面白い。
そして、反グローバリストで、日本的な民政自治を提唱している。



 

立憲民主党Twitter15万越え

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月 7日(土)00時32分38秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  ■立憲民主党のTwitterのフォロアー数が、誕生間もなく15万越えで、
すでに自民党、希望の党を超えているとか。
https://twitter.com/cdp2017

あの、「ただちに健康に影響はない」の枝野が、
再び、主役になるとはなあ~。
今回は、電気工事夫の作業服姿ではないけれど。

それにしても、いつから「リベラル=悪」になったんでしょ。
昔、自民党リベラル派というのは、ハト派などといわれ、穏健な保守本流だったはずで、
金権腐敗は別としても、建て前上は、それなりの見識とバランス感覚を持っていたと思うのですが。

いつのまにか、「リベラル-左翼」と、ひとつながりの造語にされ、
「リベラル」の語は、排除されるべき非国民とのおかしな洗脳が、定着してしまった。

■今回は、ここ何年もの間、何者かによって、「限りなく悪に近いアカ」にされてしまったリベラル派市民の
弁証法的(←この語もいつのまにか白粉臭くなってしまった)逆襲か?

 

北海道選挙区の全選挙区で<純粋野党統一候補> 凄いことになったぞ

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月 6日(金)16時34分55秒 KD175131209158.ppp-bb.dion.ne.jp
返信・引用
  ・北海道選挙区、エライことになったぞ・・::@@

・北海道の衆議院選挙区は12区あるが、立憲民主と共産党を中心に
新たに市民団体「市民の風」を立ち上げ、リベラル派をひとつにまとめた
統一候補を擁立することで、5日午後調印した。

・これによって、1、3、4、5、8、10、11の8区で
共産は立憲民主の候補を支援、
2、7、9、12区で立憲民主党は候補を立てず、共産候補を支援する。

・比例に候補を擁立する社民は、小選挙区で立憲民主党、共産を支援する。
そして、立憲民主党と共産は、比例で社民党に投票する、という内容。

・これで、北海道全選挙区では<リベラル野党>の統一候補一本化が実現したことになる。
かつてない画期的な<野党統一戦線>である。

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

作品と批評

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月 6日(金)06時51分22秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  >みな自分を語りたい。その作品を(作品そのものを論じるより)、それをこう感じた自分を語りたいものなのだなと感じた。
幸田文の「おとうと」のときはすごかった。

>「地下聖家族」については、根保さんの解説、本人の自解などから実験的な意図、狙いなど
ほぼ理解しているつもりだが、なお1/3は自分の読みにこだわりたい。
読むのは私であるから。といっても私の場合は、半分以上私語りが出すぎるが。  (小川原さんコメント)

■作品というのは、良かれ悪しかれ、一種の多面体なのだと思います。
環境や時代を映す鏡面体であると同時に、それを語る読み手の顔をも映し出す。
ただ、フィクションを作るにしても、
セミタケや、冬虫夏草のように、作者(蝉)の血肉の一部を吸い上げていないと、
できの悪いミラーボールのように乱反射するだけで、空虚で無機的な印象しか与えない…ということなのかも知れません。
~自戒を込めて。




               *


>私の読後感も秀作、佳作として記憶に残っていて、
「関東」の場で特別べた褒めで批評書いた記憶があります。(根保さんコメント)

■そうですね。
関谷作品の評については、この掲示板でも引用させていただいています。
http://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs/3



----------------------------------------------------------------


作品と作者の関係。セミタケ、冬虫夏草。
(文学という菌類に虫けらが喰われるの図)
 

まほろば賞候補の作品読んでます・・いずれも良い作品でしたね こしばきこう、井本元義は東西の横綱級作家として注目していた

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月 6日(金)04時04分34秒 KD175131209158.ppp-bb.dion.ne.jp
返信・引用 編集済
  ・関谷雄孝「白く長い橋」(カプリチオ45号)、こしばきこう「暗い森」(ざいん20号)、たいらいさとし「サクラサクサク」(星灯3号)
共に読みました。いずれも個性的で鮮烈な印象の良い作品でしたね。本賞受賞作は読んでませんが、ま、それぞれの作品には個性と作風の違い、テーマの違いがありましたので、選者の好みがどちらに傾くかの選別だったでしょう。

・私の読後感も秀作、佳作として記憶に残っていて、
「関東」の場で特別べた褒めで批評書いた記憶があります。

・北海道のこしばきこう この作家は、福岡の井本元義と並び、芥川賞作家以上の作品を
発表ごとに毎回書いている作家で群を抜いていますね。お二人とも同人雑誌の世界ではぴか一です。
独特の新鮮な小説世界と文体を持っている玄人好みの作家です。

・東の「こしばきこう」、西の「井本元義」というところですか。
「たいらいさとし」は、まだ文体ができていませんで、これからの注目作家ですかね。

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

「地下聖家族」狂気はなにを生んだか5

 投稿者:小川原健太  投稿日:2017年10月 6日(金)02時58分1秒 softbank060119133215.bbtec.net
返信・引用
  前回、小説におけるリアリティの問題を論じたつもりだが、時間がたったいま、いまさらそんな取り上げ方は時代錯誤もいいところかとややさめている。「地下聖家族」は、総じて、頭(観念)で考えられた描写で、リアリティに欠けるといい、評価した1例が、ほんのさりげなくしか触れられなかった「ぴかぴかにして返される皿」であったから、ほとんど説得力はなかったかもしれない。それよりも、この描出にこだわった私の飢餓体験をむきに語ったところなぞ異様に思われたかと、ややしょげている。
それでも語りたいのは、この作品を読んでいるのは、他の誰でもない私であるから。

私は、この頃よく図書館が主催する読書会に参加する。90パーセント以上が、5~70年代のおばちゃん。作品論的、作家論者的にはほとんど深まらずいらいらすることが多い。でも、さすが年の効、「私もこの作品の主人公と同じ病気で、生きるか死ぬ目にあった。そんな私から、この作品を読むと」なんておしゃべりしだしたり、戦争体験とか話しだすと、体験者ならではと、うーんとうなって(内心に襟を正して)耳を傾けるようなことがままあります。講師が研究、評論家だと自説を展開する講演会型になりがちだが、これが緩くて自由に話せる雰囲気では私語りに花が咲く。みな自分を語りたい。その作品を(作品そのものを論じるより)、それをこう感じた自分を語りたいものなのだなと感じた。幸田文の「おとうと」のときはすごかった。

「地下聖家族」については、根保さんの解説、本人の自解などから実験的な意図、狙いなどほぼ理解しているつもりだが、なお1/3は自分の読みにこだわりたい。読むのは私であるから。といっても私の場合は、半分以上私語りが出すぎるが。出すぎのついでにもう1つ。

昨日、ある劇を観た。引きこもりの青年のため家族が振り回される。青年の妹は「ひきいも」(引きこもりの妹)と学校で揶揄される。東北大震災に遭遇、家族が引きこもる青年を部屋から引き出すために手間取って避難が遅れ、祖父が津波にさらわれる。青年は家に戻らない。その彼が6年ぶりに家に来るという・・・。
私がうなったのは、引きこもる青年のある所作であった。文学は言葉で表現する。舞台では生身の人間の言動で表現する。引きこもる青年の内面の葛藤を、新聞に入っているチラシを、無意識に震えながら引きちぎっていく行為に鬼気迫るものがあった。リアリティを感じた。また引きこもりる人やその家族にも様々な事情と経緯があるということが想像された。いいわば十人十色、それぞに「個性」がある。「地下聖家族」でも、その点工夫され努力の跡は見られるが、私にはどちらかと十人十色のエキスというか最大公約数的で、それだけに分かりやすいのではあるが、一人一色の「個性」は弱い面がありはしないかということを言いたい。もっとも個性的である、一人一色だと、そんな人はありそうでいない、(自分らと)関係のない特殊な人となってしまうのだが。じゃどうしろというのか、自分でもわけがわからんなってきたが(疲れてきたが)、解決に定法があるわけではなく、その作家が負うことであることは間違いない。
前回、妻の「咲子」に最もリアリティに欠けるといい、今回それを論じるつもりでいたが、なにをリアリティと感じるかも、人それぞれ、ここでは私の感じるそれであるから、くだくだ述べてもなんともつまらんだろうと、この辺りで止めます。

「狂気はなにを生んだか」という大げさなタイトルに比しては中途半端な終わりであるな。狂気がどこまでも掘り起り下げられていって、新しい鉱脈にぶつかる。すなわち、新しい価値観、思想が生み出される。それこそドストエフスキーやカフカの誕生かと、本作品の連載の早い段階でタイトルだけ先に決めていたのだが、どうやら作者の狙いは、そういうところとは違うところにあったと気がつく。
いわば、穏やかな水面に石を投じると波紋が広がる。波風が立つことによって、それまで見えなかった人生の断面が見えてくる。「狂気」そのものは、やがて消失(死)する。「地下聖家族」では「狂気」は持続されるが、先は見えている。その後の、「狂気」を描いた2作では、狂気の人の死でもって終わっているから。私のひそかな期待とは方向が異なるようだと気がついたのは、金日成の死が報じた1章<8>。そのことだけ10行に満たない文章で強調されているので、気がついた。

あと、本作品とは直接関係はないが「狂気の人」はどうも男が多い。女ではヒステリーと昔から多いか。いや「狂気の人」というより「引きこもり」か。「引きこもり」は圧倒的に男が多い。女にそれが少ないのはどうしてだろうというようなことを考えた。それとも発見されていないだけか。

あと、草原さんには、現実に起こった(誰でも知っている)事件における「狂気の人」(その関係者でも)を描いて欲しいなと思った。現実に起こった事件だから、奔放な想像、解釈で創造できるのとは異なる制約がある。制約があるから、また違った展開、飛躍があるのではないかと思った。

一昨日、我らが「風の道」の同人会があった。次号の締め切りは今月いっぱい。11月いっぱいと勘違いしていた。まだなにも決まっていない。掲示板小説にも身を入れて読んでいられないかもしれない。

 

鳩森神社

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月 6日(金)01時16分5秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  ■ノーベル賞、カズオ・イシグロ氏へ。
一方、千駄ヶ谷の鳩森神社では
https://mainichi.jp/articles/20171006/k00/00m/040/154000c
熱心なハルキ・ファン、毎年こんなことをやっているんですね。



■この記事の近所にあった翻訳家の柴田元幸のインタビューも面白い。

【柴田元幸さん  村上春樹に追いついてきた--最新米文学の魅力を聞く】
https://mainichi.jp/articles/20171005/hrc/00m/040/003000d



 

関谷雄孝『白く長い橋』 特別賞

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月 6日(金)00時54分0秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  ■「文芸思潮」からの通知によると、
カプリチオ45号掲載『白く長い橋』(関谷雄孝)は、
まほろば賞の特別賞を受賞した模様です。



まほろば賞  『シーランチの住宅』江平完司(私人90)

特別賞    『白く長い橋』   関谷雄孝(カプリチオ 45)

河林満賞   『最後の海軍航空兵』西山慶尚(海峡37)

中上紀賞   『百日の記』    紺野夏子(南風 40)

優秀賞    『暗い森』     こしばきこう(ざいん 20)

       『サクラサクサク』 たいらいさとし(星灯 3)




■五十嵐勉編集長によれば、審査では『白く長い橋』は、トップとの接戦状態で、
「最近の芥川賞よりも良い」との高評価も出たとのこと。
おめでとうございます。

作品はまだ未定なのですが、本人から承諾を得ましたので、
次の掲示板小説では、関谷作品をご紹介しようと考えています。


 

お礼

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月 5日(木)07時22分31秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  大堀さんへ

■『夏草の酒』のご批評ありがとうございます。
モチーフについてですが、これは当時、行きつけの飲み屋で、
棚のボトルをぼんやりと眺めていたときに浮かんだ物語だったと思います。
たぶんマスターが、ずいぶん来ていない昔の常連客の噂を、していたような……。
その店も、店主が喉頭癌で亡くなり、もうだいぶ前に消えてしまいました。
「山口二矢」は大堀さんらしい率直さの出た作品だったと思います。

                *

>「夏草の酒」の舞台の茨城は私の記憶では東北なまりが少しあると思いますが、

■鋭い!(笑) その通りですね。
ただ、わたしは栃木・茨城弁(~べ。~ぺ。の語尾を多用する)に関しては、近親憎悪的な感覚があるので、
排除と選別の意識が働いて、自分の空間に入れないのです。
よく同人誌では、故郷の方言とじゃれ合っているような、それがあたかも作者ならではのオハコの芸であり、
読ませどころであるかのような作品がありますが、あまりそういうのは惰性に見えて好きではない。
そのくせ関西弁は、キャラ作りも含めて平気で語らせるのだから、矛盾していますね。
~単なる我儘なのですが、その辺が大堀さんあたりにartificialと言われてしまう所以かも知れません。


                *


>墓参りに行って、ふいに尿意を催し、墓裏で放尿するとか

■面白いですね。書いてください。
余計なことは入れないで、この焦燥の心理だけに焦点を当てて、20枚弱。
お水系や風俗だと意外性も弱いので、ツンとした妙齢の美女とか、育ちのいいお嬢さんか何かで。
墓の故人の人柄と、放尿の瞬間のカタルシスを、対照させる。
慌てふためく地面の蟻さんや、水滴に打たれる草の葉の先端も、克明な自然主義リアリズムで、しっかりと書く。
「おじいちゃん、ごめんなさい」とかつぶやかせて、膝を抱えたまま、
白いおでこの汗を花柄のハンケチで拭いて、眉をひそめて見上げると、
真上に、白銀の太陽が…。

~まあ、登場人物ではなく、
作者の人柄が、疑われるかも知れんけど。






 

「夏草の酒」感想

 投稿者:大堀敏靖  投稿日:2017年10月 4日(水)22時25分0秒 pdf861389.tubehm00.ap.so-net.ne.jp
返信・引用
   ノーマルな作品ということで示された「夏草の酒」は、なるほど「パパ」や「お兄ちゃん」のようなサイコパスは登場しませんでした。

 茨城に住む、四か月前に息子を事故で亡くした独り暮らしの未亡人タエ宅に、息子が常連だった世田谷千載船橋のスナックで働く雇われママ吉井友希子が故人のキープしてあったボトルを届けにはるばる来訪し、故人の思い出を語り、墓参りをして、タエは嫁になったかもしれない娘に親しみを覚えるという極ノーマルな物語でした。

 登場人物はこの二人の女性だけで、どういうモチーフでこんなシチュエーションの物語が書けるものかと、驚きました。

 私なら絶対できない情景描写も丹念に行われています。

 次男さんを亡くされた土倉さんが読まれたら身につまされて落涙なされると思います。

 私も「山口二矢」というのを書いて、母親に語らせるという設定にしましたので、子を亡くした母の気持ちはいかばかりであろうかと能うる限りの想像をしてみたのですが、男でありますし、それは空想の域を出ません。
 息子を語らせて泣かせるくらいしかできませんでしたが、この作品では、母が主人公ですから、どんな生活をして、何を日々考えて、東京からの来訪者をどうやって迎えるのかすべて描かなければならないのですから、執筆の苦労が偲ばれました。
 それを押してでも書こう、書きたいという動機が奈辺にあったのか知りたいと思いました。

 この作品を拝読しまして、想起したのは芥川の「手巾(ハンカチ)」と三浦哲郎の「盆土産」でありました。

 「手巾」は、新渡戸稲造がモデルになっている先生の宅へ、ある日夫人が訪ねてきて、それはかねて病気療養中だった教え子の母親だったのですが、とうとう亡くなって昨日初七日を済ませたと言います。
 ところが悲しいことを語る割には表向きは微笑すら浮かべて話しているのにまず驚いて、次にテーブルにおいてあった団扇を下に落とした時に、それを拾おうとふと夫人の膝の上に握りしめられたハンカチがブルブル震えているを目撃してしまいます。
 実は夫人は表向きは平静を装っていたのですが、全身で泣いていたのを知って驚きます。

 この作品は、これで終わっていればよかったのですが、実は「武士道」なんか書いた新渡戸を芥川が揶揄している小説で、教育的な美しい話ではないのが残念です。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43_15268.html

 「夏草の酒」の後半は、雇われママと母親が墓参りに行って墓石にボトルのお酒を儀式のようにかけるという場面が描かれています。

 三浦の「盆土産」は、東京に出稼ぎに出ている父親が「エビフライ」を土産にわずか一日半帰省して、小学生の主人公と中学生の姉、祖母の三人が初めて「エビフライ」を食べ、翌日、四人で、祖父と母親の墓参りに行って、その足で東京に戻る父親をバス停まで見送るという短編です。

 祖母は墓参りの間中「なまあんだうち」と念仏を唱えているのですが、ふとその間に「エンビフライ」という言葉が混じるのを少年は聞きます。
 少年は早くに亡くなった祖父や母親はエビフライなどという旨いものは食べたことがなかったことを思うと丸い石だけの粗末な墓を上目でしか見られなくなります。
 バス停で父親と別れるとき、少年は頭をわしづかみにされ、いつもより手荒くゆすられると混乱して「さよなら」というつもりがつい「エビフライ」と言ってしまいます。

 http://www.za.ztv.ne.jp/iguchi/monooki/bonmiyage.html

 芥川と芥川賞作家はさすがに短編でもうまく書くものだと感心させられます。

 ノーマルな作品ということで、「夏草と酒」では狂気は極力抑えられていますが、
「洋介はむかしよくこの石垣の隙間から、青緑いろにひかる蜥蜴を何匹も引きずり出しては石で打って殺し、血を滲ませ、魚屋を開いたようにして遊んでいたものだ。」
というような件にはどきっとさせられました。

 「盆土産」は青森の言葉が効果的に使われていますが、「夏草の酒」の舞台の茨城は私の記憶では東北なまりが少しあると思いますが、タエさんは「あら大変だ」「アルバム見るかい」など、しゃきしゃきの江戸前の言葉遣いをしていましたので、ちょっとちがうんではないかと思いました。

 スナックの雇われママの吉井友希子は洋介に少なからぬ思いを寄せていたようですが、リアルにするならば、やはりお水系のケバい女にして内面は意外に清楚であるとか、ちょっとすいませんと言って、骨壺の骨をいきなりバリバリ食べるとか、墓参りに行って、ふいに尿意を催し、墓裏で放尿するとか、そういう場面を入れるとメリハリがついて面白くなったのではないかと思います。

 そんなことを書いてはノーマルではないかもしれませんが。…




 

偏屈文学

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月 4日(水)06時40分22秒 p3657144-ipngn20501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  根保さんへ


■ご批評、ありがとうございました。
偏屈文学というのも……案外、悪くない響きですね(笑)

さすがに根保さんの手にかかると、一瞥で、諸要素が因数分解されてしまいます。
モチーフ的に言えば、
ある時期、「何もない日常のまばゆさ」「空虚としての主題」みたいなものが
時代の本質であるかのように言い立られた時期があったので、そんなものはウソだろうという主張も込めています。
また、小説作法や、ドラマツルギー上の目論みも含んでいました。
何らかのオブセッションを抱えた人物をシテとして置けば、小説空間に、対立軸が持ち込めますから。

彼らは、世俗的な幻想の地平から逸脱して、個的な幻想(自己神話/疑似宗教/自家製の陰謀論)を紡ぎ出し、
それによって、土壇場まで追い詰められた自我の再生を謀ろうとするわけですが、
しかし、結局のところは、他者と軋轢を生むだけに終わり、
自己破壊的に敗退してしまう……。


■もちろん、この小変人たちは、ドストエフスキーの人物の百分の一のスケールにも及びませんが、
作者としては、『地下生活者の手記』の、あのひねくれた八等官の遠い遠い末裔のつもりであり、
世界を均質化・画一化・平準化・序列化・客体化するこの時代の《水晶宮》に向けた、
「個」としての反抗者のつもりであります。


                *


~などとごたいそうに言ってはみても、
表現力や完成度などで芸術的にはまったく未熟であり、
合評会では「ツクリモノの失敗作」という批判になってしまう。
これは自業自得で、仕方ありません。
そんなこんなで、作者自身も、ますます偏屈になっていく……というオチがついているわけであります。


 

レンタル掲示板
/17